*渡航時、日本国外務省はパレスチナ自治区ヨルダン川西域に対して危険情報レベル1(十分注意してください。)を発出していたため渡航しても問題ありませんでした。
今回はイスラエルとパレスチナ自治区を分断する分離壁についてです。私がイスラエル留学の目的はエンジニアインターンに参加して技術力の向上が目的でした。一方で留学前に技術的な側面だけではなくイスラエルが持つ歴史や文化、宗教について学んでいく中でパレスチナ問題や中東問題についても興味が湧きました。これらの問題はとても複雑で簡単に解決できることではありません。私たち日本人がこの問題に対して具体的な解決策を提示するのは難しいですが、現地に足を運んでパレスチナ問題や現地の現状を知る意義があると感じたので、留学中にパレスチナ自治区のヨルダン川西域を訪問しました。
イスラエルとパレスチナ自治区を分断する分離壁
私が訪問したイスラエル西岸地区にある分離壁はイスラエルがヨルダン川西岸地区との境界のすぐ外側(パレスチナ自治区から見て内側)に建設中の分離壁です。「壁」というと一番最初に浮かんでくるのはベルリンの壁ではないでしょうか。ベルリンの壁は1948年8月13日から1989年11月の崩壊まで40年以上に渡って存在し続けました。イスラエル留学中、ベルリンの壁(イーストサイドギャラリー)も訪問してきました。ベルリンの壁の背景には皆さんご存知の通り政治的・差別的な意図がありました。そのような壁の現代版がイスラエルとパレスチナ自治区を分断する分離壁です。ヨルダン川西岸地区を取り囲むように建設されたこの壁はベルリンの壁の約4.7倍、全長700km以上にもなります。壁建設の目的は「テロ攻撃から自国民を守る」です。しかし、その壁はイスラエルとパレスチナの境界に建設されているのではなく、ほとんどの分離壁はパレスチナヨルダン川西岸地区に食い込んでいます。この壁に関して国際司法裁判所が国際法違反だと勧告した2004年以降も建設は続いており、イスラエル人とパレスチナ人を分断する21世紀最大の壁と言われています。こちらの写真はエルサレムの丘から撮影しました。見づらいですが、画像を拡大すると分離壁が見えます。
イスラエル側からパレスチナ側に行くにはチェックポイントを通過する必要があります。物々しい雰囲気で至る所にカメラが設置されています。パレスチナ人がエルサレムに行くにはこのチェックポイントを通過する必要があり、自由に移動するできません。
チェックポイントを通過するとパレスチナの国旗が壁に描かれていました。HOPE、SMILE、BOICOT A ISRAElなどの文字が見えますね。
分離壁にはイスラエルに対する抗議やパレスチナの解放など様々な想いが込められた、アート絵画や文字が描かれています。分離壁はベルリンの壁より三倍ほど高く壁の向こう側に景色を見ることはできません。ところによっては分離壁の上からイスラエル兵士がパレスチナを監視している箇所もあります。
パレスチナ人はこの分離壁によって移動が制限され、職場や学校、病院に通うのにも遠回りをする必要があります。チェックポイントは24時間対応していないので、夜間に移動することができません。この分離壁や移動の制限はパレスチナ人の人権を著しく脅かしているのが事実です。
分離壁から少し離れた場所ですが、パンクシーの絵もあります。
最後に
私達日本人はイスラエルやパレスチナというと危険な地域というイメージを持ちがちです。実際、日本のメディアはイスラエルと周辺国が衝突した事柄のみを報道する傾向があります。一方で実際にイスラエルに滞在したり、パレスチナ自治区に訪問してみると、イスラエルが不法にパレスチナ自治区を占拠していること、パレスチナ人の基本的人権が守られていないこと、行動が制限されていることなど新しい気づきを得ることができます。私たち日本人は直接パレスチナ問題に介入するのは難しいです。しかしながら、中立な立場でこの問題について認識する必要があると思いました。
「コロナ差別」をパレスチナの思い出にしたくない【前編】 とある日本人留学生の願い
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参考サイト
ドキュメンタリー「”The Iron Wall” 鉄の壁」~パレスチナの人びとの自由を阻む壁~
国際的な意味で「壁」と聞くと、まず思い浮かぶのは「ベルリンの壁」ではないでしょうか。1948年8月13日から建設が始められたこの壁は、当時のソ連が、占領統治していた東ベルリンから西ベルリン(西ドイツ側)への住民流出を防ぐ目的で作られたと言われます。旧東ドイツ領内に飛び地として存在していた西ベルリンを取り囲むようにめぐらされ、1989年11月の崩壊まで40年以上に渡って存在し続けました。 …
パレスチナの分離壁、ベルリン超えた 「刑務所のよう」:朝日新聞デジタル
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